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▲おそらく七代目駒権作漣薩摩黄楊彫将棋駒▲桐製平箱付


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おそらく七代目駒権作漣摩黄楊彫将棋駒 おそらく七代目駒権作漣摩黄楊彫将棋駒 おそらく七代目駒権作漣摩黄楊彫将棋駒 おそらく七代目駒権作漣摩黄楊彫将棋駒 おそらく七代目駒権作漣摩黄楊彫将棋駒
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おそらく七代目駒権作漣摩黄楊彫将棋駒

 「駒師の坂田三吉」といわれた八代目駒権(本名赤松元一)の先代が「七代目駒権」、国島権次郎です。

 本作は書体・作者銘から恐らく国島権次郎の作と思われます。
 国島と赤松との関係について、国島が七代目か六代目か、「蜀紅」を始めとする駒権の書体の序列について等々には諸説
あるようですがその点につきましては私のHPのトウシンニュースレターで少し触れてみたいと思います。よろしければそちら
もお読みくださいませ。

 書体は「漣(さざなみ)」。七代目駒権の「駒権の製品名」に見られる国島権次郎の書体です。師の作品群(黄楊材)の中で
は低位の所謂「並彫り」に相当する書体だと思われます(私のHPのトウシンニュースレターに「駒権の製品名」をUP致しました
、そちらもご覧下さい)。
 木地は当時の大阪の駒師が好んで用いた薩摩黄楊。私のHPに全ての駒の表裏をUP致しましたので是非ご覧下さいませ。

 「銀」・「歩」の一枚がオリジナルと少し違う感じが致しました。時代を旅するうちにどこかで混入したものだと思います。時を
経てすっかり同化して、もはや作品の「個性」になっています。

 余り歩はありません。
 サイズ(縦*横*厚さ) 王将30.5*26.8*9.0  歩兵26.2*21.3*7.5

 撮影に使用いたしました写真の平箱が附属いたします。

 





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